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熊本城 [旅行・ドライブ(熊本県)]

加藤神社へ行く途中で見かけた崩れた石垣





去年の熊本地震の凄さを再認識してしまった=( ̄□ ̄;)⇒

熊本城の中には入らず、加藤神社から熊本城を眺めてきた。
加藤神社から宇土櫓を見ると続櫓(向かって右側)が無かったり、崩れた石垣(石)が纏めて置かれていたりと、ホントあちこち傷んでおり、それが痛々しく。

でも、よく耐えたよなぁ、マジで。

加藤神社で参詣を終え、熊本城の天守閣を…普通こんな感じで見えるんだけど…


今はこんな感じ

なんか切なかった><

撮影スポットの置かれた募金箱には、くまモンが「がまだせ!」と言ってた

よーし!分かった。募金するぜ、くまモン!!

熊本城(くまもとじょう)は「現在の熊本県熊本市中央区に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」。加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平山城で、加藤氏改易後の江戸時代の大半は熊本藩細川家の居城。明治の西南戦争の戦場となった。西南戦争の直前に大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失し、現在の天守は1960年の再建である[1]。宇土櫓などの現存する櫓・城門・塀13棟は国の重要文化財に指定されている。また、城跡は「熊本城跡」として国の特別史跡に指定されている(wikiより)」

天守閣が復活したら、また来よう

公式サイト
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加藤神社 [旅行・ドライブ(熊本県)]

「ゆびきり」のあと、観光開始です。

やっぱここでしょ

加藤神社



加藤神社とは…
加藤神社(かとうじんじゃ)は、熊本県熊本市の熊本城内にある神社。歴史的には、慶長16年(1611年)の清正の歿後に清正を祀った浄地廟であった。慶長19年(1614年)、火災で焼失した本妙寺が浄地廟に移された。神仏分離により明治元年(1868年)、浄地廟の儀式を神式で行うこととなり、同4年、浄池廟・本妙寺より神社を分け、熊本城内に社殿を造営して錦山神社(にしきやまじんじゃ)とした。場所は大天守、小天守、宇土櫓に囲まれた平左衛門丸である。同年、大木兼能と金官を合祀した。同7年、熊本城内に熊本鎮台が置かれるのに伴い、城外の新堀町(現在の京町一丁目)に遷座し、翌8年県社列格、同10年2月、西南戦争により社殿を焼失し(神体は健軍神社に避難していた)、明治17年に再建した。明治42年(1909年)に、錦山神社から加藤神社に改称された。乃木希典も加藤清正を信仰していたこともあり、各地に分霊を祀る加藤神社ができた。同44年にはハワイに、大正3年(1914年)には日本統治下の朝鮮・京城府(現 大韓民国ソウル特別市)に当社の分霊を祀る加藤神社が創建された(京城府の加藤神社は戦後に廃社。跡地は聖山教会になっている)。加藤清正を祭る神社は一時90社を数えるが、一部例外(鹿児島県など)を除き全国的に分布し、その約半分は熊本県にある。昭和27年(1952年)、宗教法人加藤神社となった。同37年、道路改修のため、熊本城内の現在地に遷座した。(wikiより)

サイト

場所:〒860-0002 熊本県熊本市本丸2-1
お問い合わせ:096-352-7316
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Twitterまとめ投稿 2017/09/05 [Twitterまとめ投稿]


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